震災から10年
東日本大震災から10年。
今日発災時刻に、市でもサイレンが鳴らされます。
それに合わせて本校でも黙祷の予定です。
↓生徒会の学習・文化部おすすめの本コーナーには関連本も展示。
給食時間には、教頭が福島県で勤務していた経験もふまえた、以下の文も放送します。
<文・放送:教頭>
今,
今、美味しい給食を食べていますか?
今、隣に仲間が座っていますか?
今、目の前に先生がいますか?
当たり前に普通の毎日が続いています。
私達にとって、これが当たり前の普通です。
10年前のこの日に、当たり前が当たり前でなくなった出来事がありました。
2011年3月11日東日本大震災です。
震度7 死者行方不明者1万8426人の大地震です。
あなた達はまだ5歳以下で震災の記憶もあまりないと思います。私達大人も遠く離れた場所の出来事で現実味が無いのが本音でしょう。同じ日本でも遠く離れた場所の出来事でした。
私達大人は、阪神淡路大地震も東日本大地震も知ってはいますが、遠く離れた災害にしか感じていないのが現実です。同じ日本でも、テレビの中の世界にしか感じていませんでした。
私は機会があり、この西指宿中に赴任する前の3年間、福島県の南相馬市で勤めました。震災後の5年目を迎えた福島県では様々な経験をさせてもらいました。
津波で親を亡くした生徒
津波で家を流され、更に原発事故で避難した同僚
自宅に帰宅できなくて学校に避難し続け、避難民の世話をし続けた同僚
避難した先に放射線物質が飛来してきて被曝した生徒家族
その日卒業式で送り出した子供との再会が、死亡身元確認の担当になった同僚
数えきれない苦難を事あるごとに目の当たりにして、当たり前が当たり前で無くなった生活を感じてきました。
日常の生活の周りには、海岸には瓦礫と化した建物や街があったであろう痕跡が今でも残っています。流された車も放置されていました。7メートルの防潮堤で海と陸との境もできています。
福島第一原発の周りは今でも帰宅困難地域として、誰も住む事ができません。荒れ果てた町は二度と人々が生活する事が出来ないかもしれません。
そんな中でも、地域の人たちは笑顔を絶やさず明るく元気に前を向いて生きていました。
『やるっきゃないべ〜』と!
今日、皆さんに配る新聞記事(ブログでは省略)は、被災した地域の野球少年達が10年の時を経て、ようやく福島県を制したものです。『誰かのために自分は何が出来るのか』それを常に考え続け『頑張る事で誰かを元気に出来る』精神で夢を叶えた軌跡です。『熱き想いは必ず花開く』それを物語っているとおもいます。
今、美味しい給食を当たり前のようにいただきましたか。
今、仲間が当たり前のように隣にいますか。
今、当たり前のように周りに温かく支えてくれる先生方や家族がいますか。
この当たり前の毎日を宝物だと改めて感じて欲しいと切に願います。
この後、2時46分にサイレンが鳴ります。
震災で犠牲になられた方々へのお悔やみと遠く東北の頑張っている皆様への応援の気持ちを込めて黙祷をお願いします。
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